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秀吉の到着前に九州統一を成し遂げたかった

秀吉の到着前に九州統一を成し遂げたかった島津義弘は1586年(天正14年)6月筑前侵攻を開始、筑前の西半を制圧する。残るは高橋紹運の守る岩屋城、立花宗茂の守る立花城、高橋統増の守る宝満山城のみであった。7月、3万以上の大軍で岩屋城を攻めた島津軍だったが、高橋紹運の抵抗によって攻めあぐねた末、なんとか攻略する。島津方は上井覚兼が負傷、死者数千の損害を出す大誤算だった。直後に宝満山城も陥落させたが立花城は諦め包囲を解き、豊後侵攻へ方針を転換した。この際立花宗茂は撤退する島津軍を追い高鳥居城、岩屋城、宝満山城を奪還している。

一方、秀吉は同年9月に毛利氏に出陣を命じ豊前へ向かわせた。また十河・長宗我部氏にも豊後へ出陣させ大友氏と合流、島津氏の豊後侵攻軍と正面衝突することとなる。最初のうちは大友氏の内訌等もあり、島津氏優勢に進行。特に12月の戸次川の戦いにおいて、仙石秀久を軍監とする豊臣方は長宗我部信親、十河存保などの有力武将を失う大敗を喫した。

島津軍は勢いづき大友義統が放棄した府内城を陥落させて、宗麟の守る丹生島城を包囲した。丹生島城は、宗麟がポルトガルより輸入し「国崩し」と名付けた仏郎機砲(石火矢)の射撃もあり、なんとか持ち堪えた。
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宗麟は秀吉に出馬を何度も促し、翌天正15年(1587年)正月、秀吉は九州侵攻の軍令を下し、3月には自らも出陣、肥後方面を秀吉が、日向方面を弟の秀長が率い、合わせて20万を数える圧倒的な物量と人員で進軍した。秀吉上陸を察知した島津軍は北部九州を半ば放棄、島津氏の支配が表面的な占領軍政に過ぎなかったこともあり、瞬く間に島津氏の支配している城を陥落させる。島津氏は、後退を続け薩摩の守りを固める方針に変更する。

秀長率いる軍は豊後を経由し日向に入ると県を経由し山田有信の守る高城を包囲する。島津義弘が救援に向かうが、根白坂の戦いで島津忠隣が戦死するなどの大敗を喫し、高城は陥落する。さらに豊臣秀次は都於郡城を攻略し三ツ山と野尻の境界にある岩牟礼城まで侵攻した。義弘は飯野城に籠り徹底抗戦を装った。

一方秀吉は秋月種実の岩石城を攻略、島原方面では有馬晴信の調略に成功した。島津忠辰は高田を放棄して出水にまで撤退する。秀吉は八代、水俣を経て島津方の予想を上回る速さで出水にまで進軍し、出水城主島津忠辰を降伏させた。さらに島津忠長を蹴散らし川内の泰平寺に本陣を置く。4月、島津義久が泰平寺に赴き降伏した。

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2009年06月06日 13:31に投稿されたエントリーのページです。

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